「渋谷」の名の起こりには以下のような説があります。
- 昔、この付近は入江であり、「鹽焼く里」の称が「塩谷の里」に変わり、「シホヤ」になり「しぼや」と訛って「しぶや」となったとする説(『渋谷町方書上』『新編武蔵風土記稿』)。
- 平安時代の終わりごろ、谷盛庄といっていた当時、領主河崎平三重家が京都在勤の時、禁中において盗賊渋谷権介盛国を搦め捕る手柄を立て、その功により土佐守に任じ渋谷を以て氏に命ぜられた。このことから、重家の領地であった谷盛庄が「渋谷」に変わったとする説(『金王八幡神社社記』)。
- 治承年間(1177年から1180年)に相模国高座郡渋谷庄の庄司平重国の所領だったことがあって、一族の者が移住して命名したとする説(『新編武蔵風土記稿』『御府内備考』『大日本地名辞書』)。
- この地を流れる川の水が、鉄分を多く含み、赤さび色の「シブ色」だったため「シブヤ川」と呼ばれていたとする説。
- 渋谷川の流域の低地が、しぼんだ谷あいだったからとする説。
- 漢字字源説として、「渋」という字には平坦な土地が浸食されて凹凸を生じた地形という意味があり、「谷」の字と共に渋谷区域の地形からこれらの字をあてたとする説。
参考資料
『図説渋谷区史』(渋谷区 2003年)
「渋谷の地名」(200ページ)項に、(1)(2)(6)が紹介されています
所蔵館: 全館(S12)
『新修渋谷区史 上巻』(渋谷区 1966年)
上巻、226ページに(1)の紹介があります
中巻、1406ページに(2)『金王八幡神社社記』を収録
所蔵館: 全館(S12)
『新編武蔵風土記稿 第1巻』(雄山閣 1970年)
上渋谷村の項の216ページ
所蔵館: 中央(S13)・(S13・291.0ダ)
『大日本地名辞書 第6巻』(吉田東伍/著 冨山房 1970年)
『東鑑』の説として紹介
所蔵館: 中央(参考図書 291.0ヨ)・西原(参考図書 291タ)
『渋谷の地名』(渋谷区教育委員会 1984年)
冒頭の「渋谷の名」の項
所蔵館: 中央・保存庫(S13)
『渋谷の地名 資料集』(渋谷区教育委員会)
所蔵館: 中央・西原・富ヶ谷・笹塚・本町・大和田・臨川・代々木・笹こ・保存庫(S13)
『渋谷風土記 舊史編』(有田肇/著 東京朝報社 1935年)
「地名の起源」の項32ページ
所蔵館: 中央・保存庫(S12)
(復刻版) 中央・西原・富ヶ谷・笹塚・本町・大和田・臨川・代々木(S12)
(2013年2月15日回答作成)