青山病院は現在閉院していますが、最近の地図においても池の存在を確認することができます。この場所は江戸時代『東都青山絵図』によれば、山城淀藩稲葉家の下屋敷があった地です。池の名前は「琵琶池」といい、邸内にはいくつかの社があったようです。池や社の名前を調べる資料としては以下の資料があります。

参考資料

『渋谷の湧水池』(渋谷区教育委員会 1996年)

名は形状にちなみ「琵琶池」といったとあります。また、文政11年(1828年)の『渋谷御屋鋪惣絵図』にある池の図を掲載しています。

所蔵館: 全館(S13)

『新修渋谷区史 上巻』(渋谷区 1966年)

「武家屋敷の庭園 814ページ」の項の稲葉家下屋敷の記述に、天明5年(1785年)に藩士の木田好座のかいた「御露路草案」の引用があります。その文中に池の名前および、庭内の社として三島明神・宝珠神・野田稲荷・三棟稲荷・四方霊御神社などがあり、五重塔もあったことが記されています。

所蔵館: 全館(S12)

『北青山遺跡 第2冊分』(北青山遺跡調査会 1997年)

「こどもの城」の建設にあたり稲葉家屋敷の遺跡発掘調査を行った際の報告書です。第2分冊の「文献調査の成果」に「御露路草案」の引用及び、稲葉家屋敷の絵図があります。

所蔵館: 中央・西原・富ヶ谷・笹塚・本町・保存庫(S14)

(2013年2月15日回答作成)